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活動報告

絆・ベルリンの回顧と見通し

これから何をするか?    ドイツ人の絆・メンバーの視点から 

東日本大震災の三重災害(地震・津波・原発事故)後に、絆・ベルリンが今まで5度目にボランティア活動をしました。2011年の秋はどちらを向いても、たくさんの瓦礫が山のように積み重ねられていました。 それで、2011年も2012年も主として肉体労働的な活動(側溝掃除など)をしました。
しかし、2013年からは、同じ場所でさまざま復興を感じさせる光景が見られるようになりました。訪問したところのほとんどで清掃作業は完了しており、大規模な再構築が開始されました。復興が次のステップに移るにつれて、我々が現地でできることは本当に少なくなっています。専門家の仕事がいちだんと重要になっています。それは労働市場についてのプラスの要素です。しかし、経済的な問題はそう簡単に解決できないと思います。たとえば、復興が長期間かかるので、過疎化がまだ問題です。そして、工事材料と費用復興の高騰も大問題になるそうです。
我々は2013年からの活動の特徴は、肉体労働的な活動だけではなく、コンサート、仮設住宅に住んでいる人々のサポート、高校生交換などの活動もしました。そして、農業の仕事 、緑化運動の活動もしました。 たとえば、被災地で初めて田植えをしたとき、私たちの心は希望で満たされていました。
2014年、神森ドロノキの緑化運動に参加しました。生態系のバランスが部分的に崩れてしまうので、たとえば「ドロノキ」のような再植林のプロジェクトは、復興ばかりでなく、過去の過ちを修正するための最初のステップだと思います。より良き未来に向かって、復興は大きなチャンスだと考えています。
総括して言えば、被害地ではどちらを向いても大きな仕事が行われていますが、目標に合致した援助がまだ数年間先まで必要だということです。
現在、コミュニティの復活も大事です。地域住民と被災地で働いているNPOによると新たな地域コミュニティーや産業・雇用の創出拠点となるセンターが被災地の 随所で最も重要なことだそうです。それで、コミュニティの復活について、「大槌たすけあいセンター」と「ベルリン・ハウス」のようなプロジェクトの実現は本当に喜ばしいことです。コミュニティの復活は行政措置で処理することはできません。コミュニティの復活は被災した人々や NPO、ボランティアなどと一緒に進められていきます。
我々は東北の住民とNPOの皆さんと共同で復興の仕事をしました。それは、本当に印象的な体験でした。本質的なものとそうでないものとを区別することを学びました。
2011年からのボランティア活動を通じて日本とドイツの友情の絆がしだいに強まったと思います。東北滞在中、 私たちは継続的な支援が役立つと聞かされています。別れに臨んで、地元の方からは感謝の言葉が多かったです。被災した人々もNPOのスタッフも「連続が気力を与える」と言いました。

こういう訳で、絆・ベルリンは活動を続けています。しかし、ドイツ人の絆・メンバーの視点からこれから何をするか。

*   積極的支援が続いています。たとえば、今年5月は絆・ベルリンの第6ボランティア活動があります。15名の参加人(14人のドイツ人、1人の日本人)は5月11日から22日まで岩手県に働いています。しかし、これまでの活動とは対照的に今度グループ作業ではありません。作業内容は災害のを受けた家族の仕事です。たとえば、農業、畜産業 、住宅建設などを助けります。二、三人一組になったボランチア人はホームステイで宿泊し、ホストファミリに勤めています。活動地域は気仙沼市(漁業及び唐桑茶製造支援)、大槌町(農地の石撤去)、陸前高田・上長部(農業と製材所の作業)、釜石市(漁網の補修)、遠野市(復興米の生産、森整備他)です。

*   2013年と2014年の夏に、絆・ベルリンは翼・プロジェクトの枠内で、岩手県から高校生をベルリンに招待しました。TMNと協力したプロジェクトはボッシュ財団から1万ユーロで財政援助をうけました。被災地を離れて、ドイツ社会を体験し、同世代の若者と1週間過ごし、異文化経験をすることによって、将来の地域復興・活性化に役立たせてほしいと願うからです。これまでの翼・プロジェクトは大成功だったので、ボッシュ財団が翼・プロジェクト2015に新たに1万ユーロの資金援助をくれました。それで、我々は翼・プロジェクトを進めることができます。
現在、TMNが岩手県のメディアを使って,公募をしています。5月17日、第三回「翼」独日高校生交流プロジェクトの参加者面接が遠野市で行われます。2015年7月29日から8月6日まで、津波と大地震に被災した岩手県に住んでいる6人の高校生が 絆・ベルリンの招待で、8日間ベルリンに来ます。現在、我々はベルリン滞在の予定表の準備をしています。コンベンションセンターで2日間のワークキャンプを開催します。目的はドイツ人の若者との交流です。ほかにもいろいろあるが特に、津波の被災地についてプレゼンテーションと討論が行われます。  そして、ベルリン・ターフェルや「EUREF(ヨーロッパのエネルギー・フォーラム)」などを訪問することが予定されています。

*   日本とドイツの友情を深まることを望みます。それで、絆・ベルリンは被災地に住んでいる人々と緊密な連絡を保っています。そして、日本のパートナーと共同で仕事をしています。将来もNPO・遠野まごころネット(TMN)と親しい関係を保ち、復興についてのいろいろなプロジェクトに協力していけると確信しています。たとえば、「大槌たすけあいセンター」と「ベルリン・ハウス」、大槌・伝承館の「神の森・プロジェクト」、大船渡の長洞仮設住宅などをまた援助しています。このようにして、友好の絆がますます大きくなればいいと思います。

フランク・ブローゼ     ベルリン、2015年5月4日

 

第2回「翼・プロジェクト」報告

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7月30日から8月7日まで、津波と大地震に被災した岩手県に住んでいる6人の高校生が 絆・ベルリンの招待で、8日間ベルリンに来ました。この滞在の目的は他の国を知ることと、ドイツ人の若者との交流でした。被災地を離れて、ドイツ社会を体験し、同世代の若者と8日間過ごし、異文化経験をすることによって将来の地域復興・活性化に役立たせてほしいと願いからでした。そして、日独の友好関係を深めることも願っています。
日本語の第2回「翼・プロジェクト」報告を書きました。

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翼・プロジェクトの枠内に、ドイツ森林保護団体青年部の自然保護塔の前に植樹運動をしました。自然保護塔はベルリンの旧壁の道にある監視塔でした。25年前に、ベルリンの壁が崩壊しました。その時から今までに、旧壁地域ではドイツの高校生が平和のシンボルとして、8万の木を植えました。 日本とドイツの友好を深めるために、2014年8月に日本人とドイツ人の高校生が一緒にリンゴの木と桜の木を植えました。

フランク・ブローゼ、  2014年10月1日

これから何をするか?

2011年9月に始まった「絆・ベルリン」のボランティア活動はこの5回を持って一段落したと言える。我々ができることは本当に少なくなった。ある意味で復興が新しい段階に入ったと言え、喜ばしいことだ。これまで皆さんのサポートによってここまで支援活動を続けられたことに感謝いたします。

大震災、特に津波で破壊された地域には大きな問題が山積している。経済的な問題は構造的な面があるので、そう簡単に解決できないであろう。過疎化の問題もある。工事材料と復興費用の高騰をもたらしつつある東京オリンピックもある。三陸地方でも家を建てようにも材料費と工賃が高くなったので、今は見送りし、早くて2,3年先になるだろうという話をよく聞いた。これらの大状況に対して我々にできることはまずない。しかしこれからもベルリン・ハウスのある上長部の方々、長泂仮設住宅の方々、大槌町の伝承館の方々,「遠野まごころネット」の方々とは交流を続け、復興の進展を見守っていきたい。それと「翼」(岩手県の高校生をベルリンに招待するプロジェクト)もできるだけ長く続けていきたい。

最後に一言。2011年3月11日の大震災が残した最大の問題はフクシマである。原発事故そのものが収束していないだけではなく、チェルノブイリにおける低線量被曝による晩発障害に関する報告を読めば、これから放射線汚染による病気疾患は福島と近県で増えていくだろう。政府の進めている除染後の帰還政策はそれに対立している。両院で多数を占める現在の政治状況では安倍政権の原子力推進路線を変える力はどこにも見あたらない。だから、地域の反原発運動に参加すると同時に、日本の仲間と一緒に次の三つのプロジェクトを微力ながら進めていきたい。

1)独占的な電力会社から地域が自立し、発展するために再生可能エネルギーを使った市民発電所を多くの地域に作るために、我々はエネルギーシフトを先に進めているドイツのノーハウと経験を日本に紹介する橋がけとなる。

2)移住を望む福島の方々に日本で過疎化が進んでいる地域(限界部落)を紹介するネットワークを作る。そして移りやすいように便宜を図る。

3)福島の子どもたちを放射能に汚染されていない地域に一定期間疎開させる。少なくとも年に数週間の保養プログラムに招待する。

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福澤啓臣

 

2014年春の活動

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4月21日から5月3日まで岩手県大船渡市に滞在し、陸前高田、大槌町などでボランティア活動をしました。日本語での第5回ボランティア活動報告を書き終えました。三年間のボランティア活動を振り返って考えてみた後、報告には、私の見方でのレジュメも書きました。

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フランク・ブローゼ  (絆・ベルリン副団長)

 

 

日本反原発報告

4月12日から20日までロットヴァイル/チェルノブイリの市民グループと一緒に広島、東京,福島を訪問しました。さらに5月3日に「絆・ベルリン」のメンバーと「希望の牧場」を訪れ,吉沢さんから話を聞きました。5月7日には桜美林大学四谷キャンパスで「日独国際原子力シンポジウム」(基調講演の報告原稿)に参加しました。これらの一連の反原発に関わる足跡を振り返って6月14日に「Sayônara Nukes Berlin」でPPTを使い、報告をしました。このPPTだけでも内容はある程度理解できますので、その時のPPTを掲載します。報告文はできるだけ早く書いて発表します。

2014年6月20日     福澤啓臣

 

ブラウンシュバイク市の福島3・11祈念式に参加して

3月8日にベルリンの反原発デモを一緒に行ったSchacht Konrad(コンラート立坑)の招待で3月10日にブラウンシュバイク市の福島3・11祈念式に参加してきました。ベルリンの準備グループに加わっていたユリアーネのお父さんのペーター・ディッケル氏がベルリンに用事(ドイツ環境大臣との会合)で来ていたので、彼の車に乗せてもらってブラウンシュバイク市に行きました。そのペーターさんは筋金入りの活動家で、すでに反原発運動を35年も続けて来ているそうで、シャハト・コンラート運動の中心人物です。シャハト・コンラートは100年以上前から1970年代まで鉄鉱石を掘り出す鉱山でした。非常に乾燥した鉱山ということで、連邦政府がドイツの核廃棄物の最終処分場の候補地として指名し,75年から調査が始まりました。その時からディッケル氏は反対運動に主体的にコミットしています。
ドライブの途中に核廃棄物処分地のMorsleben(旧東独)とSchacht Asseを外から見学しました。Morslebenは塩山として使われた後、東独時代に核廃棄物処分地として指定され、統一後は連邦政府に引き継がれました。住民は現在反対運動を起こしています。ベルリンから同乗したのが運動の代表を務めているフックスさんでした。Schacht Asseは同地から10キロぐらい離れた旧西ドイツ側にあるやはり元塩山で、1995年から2004年の間に16100樽の核廃棄物が運び込まれました。ところが地下水が流れ込み、金属製の樽を浸食し始めたのです。ディッケル氏によれば、鉱山の現場の人たちはその危険を指摘していたそうです。そこで2008年に運び込みがストップされ、最終的に取り出すことになりました。しかしウランが25キロ、危険なプルトニウムが6キロなども入っていて、どのように取り出すか、現在議論されています。3月初めにヘンドリックス環境大臣(Barbara Hendriks,SPD)がここを訪れ、正直言ってどう、またいつ運び出せるか分からないと途方に暮れている様子が報道されました。ちょうどそのニュースを見た記憶があったので、余計にInfo-Hausで展示されていた半壊した樽の写真が印象深かったです。次にSchacht Konradを見学しました。ここにはまだ廃棄物は運び込まれていないそうです。地域の人の反対が強いからだそうです。ディッケル氏の話では、福島の事故の後,地域の人たちによるキャンドル記念連帯の夕べには2万8千人が蝋燭を手に沿道に並んだそうです。素晴らしく感動的なシーンだと言っていました。
5時半頃にやっとブラウンシュバイクの市庁舎前の広場に到着しました。すでに50人以上の人が三々五々と立って、集会が始まるのを待っていました。反原発のポスターやフライヤーなどを並べたテーブルもありました。司会役のマリアさんが挨拶に来ました。僕がトップバッターだとのこと。夕方6時過ぎに150人ほどが集まり、祈念式が始まりました。僕は用意したドイツ語原稿を読み上げました。後から話した皆さんのようにフリーに感情込めて演説を打つのはドイツ語では無理です。福島をめぐる日本の現状を報告しました(ドイツ語テキストはhttp://sayonara-nukes-berlin.org/?attachment_id=940)。そして、みなさんの連帯をこれからも必要としているという言葉で結びました。(ご覧になりたい方は:https://www.youtube.com/watch?v=0IFge8qRpR4)。その後4人(ペーターさんも)の話が続き、1時間ほどで式を終えました。みなさん本当に息の長い運動をして来ているなという印象を強く感じました。
7時過ぎに市庁舎内の政党議員室(彼らの市民連合による政党)で10人ほどの参加者に質問に答える形で日本の現状について多少詳しい話をしました。原発からの撤退はもちろん重要だが、まず汚染区域から子どものいる家族を優先して移住させるべき方向に運動の目的を決めるべきだと述べました。それと汚染水問題も含めて福島の問題解決がまったく宛にならない東電の手に握られているのが大きなジレンマだということを強調しました。
帰宅は最終電車に何とか間に合いました。
最後にディッケル氏から『Atommüll(核のゴミ)』という270頁にもなる本を頂きました。昨年の8月に行われた全国の活動家による「核のゴミ会議」で発表されたデーターをまとめた本です。10日の朝ヘンドリックスドイツ環境大臣に渡したところ、ドイツの90か所の処分場をすべて網羅したこのような資料がほしかったのだと誉められたそうです。本来なら金もマンパワーもある環境省が作成すべきなのだと彼は半分怒っていました。これをみてもいかにドイツの反原発運動と環境運動が大きな勢力になっているかが分かります。日本の反原発運動も原子力村がごまかせないようなデーターを集め,突きつけられるように早くなりたいものです。

2014年3月25日

福澤

 

第1回「翼・プロジェクト」報告

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岩手県の津波被災地に住んでいる5人の高校生と3人の引率者が 絆・ベルリンの招待でベルリンに来ました。
この滞在の目的はドイツ人若者との交流でした。ドイツ人家庭での6日間ホームステイと高校訪問、2泊3日のワークキャンプがありました。
日本語の第2回「翼・プロジェクト」報告を書きました。

フランク・ブローゼ、  2013年8月1日

 

2013年5月の活動

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5月10日から20日まで岩手県大船渡市に滞在し、陸前高田、気仙沼、大槌町などでボランティア活動をしました。団長福澤啓臣による報告による日本語の報告です。副団長フランク・ブローゼによる日本語の報告の第一部(上長部や、越喜来、大槌)と報告の第二部 (気仙沼や陸前高田、大船渡など)です。

フランク・ブローゼ  2013年7月

福島の「希望の牧場」訪問記

2013年5月21日

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 今回も前回に続いて「希望の牧場」を訪ねた。前回会えなかった代表の吉沢さ んが応対してくれた。とても馬力のある方で、東電や政府に対して憤懣やるか たないという感情が言葉の端々からほとばしり出ていた。吉沢さんのところに は現在350頭の和牛がいるそうだ。この2年間で150頭ほど死んだが,同 じぐらいの数の子供が生まれたそうだ。毛並みがつやつやしていて、栄養が行 き届いている元気そうな牛がいる反面、小判上の白い斑点が皮膚に見られる牛 もいる。白い斑点は放射能の影響ではないかと吉沢さんは疑っていた。吉沢さ んはこれらの牛を東京に連れて行って,東電本社や首相官邸にデモをしたいと も言っていたが、同感だった。西部劇映画で見られるように永田町界隈を牛の 群れが瀑走する痛快なシーンが頭に浮かんだ。我々が被曝の問題を気にして、 質問すると、ひどい時には6000ベクレルほど被曝したとおっしゃる。現在 は2000ぐらいじゃないかなとも。我々は吉沢さんの決死の覚悟に圧倒され て、牧場を後にした。なにがしかの連帯の印を差し出した上で。

福澤啓臣

 

2012年秋の活動

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10月9日から20日まで岩手県大船渡市に滞在し、陸前高田、気仙沼、大槌町などでボランティア活動をしました。団長福澤啓臣による報告による日本語の報告です。副団長フランク・ブローゼによる日本語の報告の第一部(大船渡や上長部、大槌)と報告の第二部 (陸前高田や気仙沼など)です。さらにメンバーの鶴岡邦夫氏による全期間を撮影した写真アルバムがご覧になれます。

吉里吉里湾

焼きサンマ・長泂仮設住宅

 

2012年10月20日

今回の活動で最も印象深かったのは「希望の牧場」訪問であった。「希望の牧場」は福島の警戒区域にある浪江町の酪農家の吉沢さんが中心になって自分の牛たちを屠殺しろとの政府の指示に逆らって、現在800頭の黒和牛を生かしている農場(福島第一原発から14kmの地点)である。そのことをドイツで知ってできれば訪問したいと思い、いろいろ調べてみたら、警戒区域なので普通ではとても入れないとのことであった。だがあきらめきれず、とにかく行けるところまで行ってみようと仲間8人と3台の車で浪江町に向かった。ところが、吉沢さんの連絡先に電話し、些少だが義援金もお渡ししたいと言うともう一人常駐の針谷さんがとにかく来てみてくれとのことだったので、入り口まで行ってみた。到着すると岐阜県の機動隊員が3人いたが、聞いてみると、いや入れますよとのこと。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA いや、壮観であった。牧草を食む200頭の黒牛の群れ。針谷さんの話を聞き ながら、牧場内を案内してもらう。針谷さんは酪農家でもなく、お百姓でもな い。ルポライターだが、吉沢さんと接するうちにのっぴきならなくなり、牧場 に入ってしまったのだそうだ。健康状態はとお聞きすると、もう2000シー ベルトぐらい浴びているのではとのこと。そして自問自答する毎日だとのこ  と。売れない牛、それも本来ならいつかは売られ、食肉になってしまうはずだ った牛、放射能を浴びていつかは死んでしまう牛の面倒を見ているのは何のた めだと。牛の寿命は普通20年ほどなので、いつかはいなくなる。

ぼくも理解しようとして考えついたのは、牛たちに生命を感じてしまったので はないだろうかということだ。いくら放射能を浴びて、役に立たない牛でも生 きているのだ。殺せない、できるだけ長く生かしたいというのは自然な心の流 れだ。訪問後一緒に訪問したドイツ人と話したが、印象深かったけど同意できないとの意見だった。人間中心主義的なキリスト教の考えからすれば、役に立たない動物のために人間である自分の命を投げ出すのは、納得いかないだろう。仏教的な観点からすれば、生き物はすべて平等だ。だから、動物でも生き物として受け入れたら、自分(人間)の命を犠牲にしても長生きさせようとするだろう。そしてそれに共感できるだろう。

訪問後の仲間の話では針谷さんにご家族のことを聞いたところ、奥様とお嬢さん一人がいらっしゃるそうだ。それならば、余計にドイツ人には受け入れられないだろう。日本人の僕にも家族に対しての責任があるのでは考えながら、心のほんのちょっぴりした隙間でなんとなく受け入れているのが感じられた。僕が同じ立場だったら、逃げてしまっていただろうと思われるが。

 

放射能と魚と市民社会

フクシマの放射能の問題は様々な面において影響がある。例えば食物による内部被曝の問題としてまだまだ尾を引いている。福島産はもちろん隣りの県の茨城産、栃木産でも野菜はなかなか売れないと聞いている。風評被害と言えるし、生産者の皆さんには本当に気の毒だ。では、魚はどうする。どこで獲れたかはある程度特定できるが、どこを回遊してきたのかは分からないから厄介だ。筆者自身は年齢も年齢だし、魚好きなので、どうせ海の放射能汚染は大したことはないだろうと高をくくって、平気で食べている。特に大好物のサンマは旬なので10月の日本滞在中4週間で15匹ほどたべたと思う。大船渡には新鮮な秋サンマが水揚げされるし、炭火で焼かれたのを見れば、舌なめずりをしてご馳走になった。市内の立根町、長泂仮設住宅の皆さんに振る舞われて、それぞれ3匹も平らげてしまった。脂が乗っていてとてもおいしかった。ところが、今回の滞在中こんなおいしいサンマを食べないどころか、太平洋側で獲れる魚は食べないという人に何人か出会った。彼らに言わせると、政府が発表する数値はまず信用できないという。たしかに昨年の3月以来政府の危機対応と対策は信用するにはまったく心もとないレベルにある。人間は一度信用しなくなると、その回復は非常に難しい。公式発表の数字をまったく信頼しないとなると、じゃ何を信頼すべきなのか。それに取って代わる測定機関があるのかということになる。

今回の滞在中にボランティア活動の後昔のドイツ人教え子を札幌に訪ねた。9月にベルリンでお目にかかった「福島の子どもたちをまもる会北海道」の皆さんを札幌に訪問し、そこで市民の皆さんが自分たちで測定機器を購入し、食べ物の放射能汚染を測っているグループに出会った。さっぽろ市民放射能測定所の「はかーる・さっぽろ」である。代表の富塚とも子さんにお会いし、測定のデモをしていただいた上に、お話を伺った。測定機器はベラルーシュから購入したもので、500万円もしたそうだ。みなさんの活動に頭が下がった。このような市民のグループがたくさん誕生し、ネットワークを組織し、毎日の食べ物を測定し、発表してくれれば、市民の皆さんも疑心暗鬼に陥らないで食べものを口にできるだろう。同時に政府が問題のあるデーターは発表しない(筆者は政府がデーターをねつ造しているとは思わないが)などの反市民的な作為行動は取れなくなる。このようにして政府を包囲するのが成熟市民社会への第一歩になるだろうと確信している。

 

放射能の土壌汚染について、福島原発事故をチェルノブイリの事故と比べる

副団長フランク・ブローゼによる日本語の研究論文 (PDF, 929 kb)

福島の放射能分布
福島の放射能分布

 

 

2012年春の活動

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4月3日から12日まで東日本、主に岩手県でボランティア活動をしました。副団長フランク・ブローゼによる日本語の報告です。

フランク・ブローゼ、  2012年12月

 

2011年秋の活動

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9月13日から30日まで東日本でボランティア活動をしました。副団長フランク・ブローゼによる日本語の報告です。中日・東京新聞の記事(9月27日)もごらん下さい。

フランク・ブローゼ、  2011年10月

 

紅玉リンゴプロジェクト

日独リンゴを実らせよう!

紅玉